私は密室というものが好きである。

用事もないのに車を一人で運転している時などはある意味至福の一時である。

しかしそれは自分だけが持てる密室という意味で、そこに他者が加われば好きは嫌いへと変わる。

 

私は狭い空間が好きである。

ただっ広い個室に横たわるベットよりも、薄暗い小さな押入れなどが心が休まる。

しかしそれは自分だけが持てる空間という意味で、そこに他者が加われば好きは嫌いへと変わる。

 

私は共有スペースは好きである。

いつも一緒に飯を食べるための食堂や会話を交わすことのできるリビング等は必要不可欠だと思う。

しかしそれは瞬間または断続的という意味で、常時または永続的だとすれば好きは嫌いへと変わる。

 

つまり共有スペース=密室空間だった場合、私は息が詰まってしまいそこから逃げだしたいと思うだろう。

つまり共有スペース密度が狭くなればなる程、私は息が詰まってしまいそこから逃げだしたいと思うだろう。

つまり共有スペースの利用時間が長い程、私は息が詰まってしまいそこから逃げだしたいと思うだろう。

 

密度や時間は人により変化するものである、親しい人間と親しくない人間なら前者には当然甘くなる。

というように上記3つの項目は親密度や雰囲気により細かく変動するものである事は確かだが

結論から言えば「一人で使える時間>他者と使う時間」の方が私の場合気分的に楽だと言う事だ。

 

ある人々は言う、それはお前の我侭で他者を受け入れる事を拒んでいるだけだと。

ある人々は言う、それはお前が周りに気を使いすぎているため疲れるのが嫌なだけだと。

ある人々は言う、それはお前が偽りの仮面を付けているからでそれが剥がれるのを恐れているからだと。

 

これら3つは全て当てはまる、本当に他者の意見は的確に捉えてくれていると驚嘆する。

特に仮面論は的を得ている、どんなに親しい友人でも永続的な共有スペースが10日を過ぎれば

私の精神は崩壊する=無意識的に付けている仮面が少しずつ剥がれていくといった解釈なのだろう。

これはそういった事を見せた事のない奴に言われたので真理を手玉に取られた気分で少し悔しい。

マニュアルには無い独学心理学者には勝ち目ないな、10日が限界というのも立証済みである…。

 

しかしずっと一人というのも苦手であるため本当に我侭なんだなと思ったりする。私が求めている人間は

私が会いたい時にだけ会える便利な人間だと利己的な考えをしているのではないのかと懸念する。

意識化ではそういった事はないと思えるのだが、上記自己分析からは不安要素しか出てこないため

自分が最悪な人間に思えてきて少し怖かったりする、我侭で利己的…救いようがないな。

 

将来は共有スペースを永続的に行っても平気になれると言われたが、自分の全てを隠すなとも言われた。

話したい事は全て話せ、話したくない事も全て話せ、それができると思える人と共に暮らせと。

聞いてもいないカウンセリングを受けながら、現在は該当する人物がゼロである事を再確認する。

どうやら私の共有スペースはまだまだ狭く、小さく、短いものであるようだ…。

その変化が恋愛なのか友情なのかは理解できないが、一応そういった努力はしていくつもりだ…。